| 2006 マサのジンバブエ滞在日記 |
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国立公園にゴールドラッシュ 2月24日 ![]() 先週の金曜日から、ムビラ友達と三人でジンバブエの東部にあるチマニマニ国立公園にトレッキングをしてきました。ここはジンバブエの中でも、特にお気に入りの場所。灰色の石灰岩で出来た山々と草の緑が造りだす景色は、宮崎駿のアニメーションに出てくるような美しいもの。ここでしか見ることができません。 夜行列車で一晩かけて首都ハラレからムタレへ、ムタレからバスで更に3時間。チマニマニ村に到着して食料を買い揃えて公園へ向かいます。山の中で4泊するので、全ての食料や鍋などの調理道具を背負わなければなりません。 村から車で途中まで行き、7kmを歩いて公園入り口に到着。2,5時間ほど山を登ると頂上の山小屋に到着。眼下には広大な草原が広がっています。重い荷物を背負っての登山は大変ですが、この展望を見ると全てが報われたような気分になります。ここでは、鳥のさえずりと風のそよぐ音、川の流れる音しか聞こえません。 僕らは山小屋に一泊して、翌日からは公園内の洞窟に移動、そこで2泊しました。 草原を流れる小川は谷を下り、所々に滝と泉を作ります。水は冷たいのですが、泳ぐと最高の気分です。僕らは大自然の中で、ムビラを弾いたり、料理したり、雨が止むのを待ったり、ゆっくりと流れる雲をを眺めて過ごしました。 チマニマニの美しい景色は変わらずでしたが、この平和に見える公園にも変化が起きていました。去年、この国立公園内で金が採れることが分かり、不法採掘者が山を荒らしているのです。滞在中、不法侵入者を追い払う銃声を2度聞きました。 そういえば、村から公園まで歩いているとなぜか人通りがないはずの未舗装路で地元のおばちゃんたちが茹でたとうもろこしなどを売っているのを見かけたのです。商売になるほどの人が通るのでしょう。シャベルやたらいを持って歩いている人たちにも出会いました。1週間掘るだけで一ヶ月分の給料と同じくらい稼げるそうなので、多少の危険を冒してもやる価値があるのです。 チマニマニがいつまでも平和で、美しいままでいて欲しいと願うのはわがままなのでしょうか。 |
| 初めての地震 2月24日 「ガタガタガタ・・・・・」あれ?箪笥が揺れている。 昨夜12時20分頃、地震 があった。震度2,3くらいだろうか、1分は揺れが続いた。 アフリカで地震にあう とは思わなかったので、はじめは自分の感覚を疑ってしまった。 それからは大騒ぎ。 宿の従業員は建物がつぶれてしまうと思ったのか、宿泊客に外に出るように叫んでい た。多くの人たちが怖くてとりあえず外に出て様子を見ている。 僕は地震国で育った から、動揺することなくベッドに戻ったけど、その後30分は外が騒がしかった。 みんな驚くのも無理はない。この国で地震が起きることは本当に稀なのだ。新聞に よれば2004年に微小な揺れがジンバブエ西部であったのを除けば、最後に揺れた のは1984年のことだという。多くの人たちにとって初めての体験だったのだ。 翌 日、人々の井戸端会議の話題は地震のことでもちきりだった。 今、ムビラを習っているルケン・パシパミレ先生は50歳を過ぎているので「学校 に通っていた子供のころに一度あったなあ」と思い返していたが、「周りの若い人は 信じないんだ」とか。 新聞には、この国では地盤が安定しているので微小な地震は あっても大規模なものは起こりえないと書いてあった。地震がいつ起こるか分からな い国に住む我々には羨ましい話である。 |
ドンボシャワの野生米とゆらぐ伝統 2月12日![]() 今日はハラレから40分程バスで行ったところにあるドンボシャワへ行ってきました。 ドンボとはジンバブエの言葉で「石」のこと。巨大な岩でできた山があるのです。 オーストラリアのエアーズロック(ウルル)を灰色にしたようなところといったらイメージしてもらえるでしょうか。 この山は酸性の雨によって丸く削られて、お椀を逆さにしたような形になっていて不思議な景観です。辺り一帯は石器時代頃の居住跡などがたくさん見つかっています。山の中腹には洞窟があり、壁には煮炊きをした跡のすすが黒くこびりついて、太古から人間が居住していたことを物語っています。バントゥ系民族(ムビラの伝統を持つショナ族もその一つ)が到来する紀元後数世紀までは、ブッシュマンという蔑称で一般に知られるコイ・サン族の人たちが暮らしていました。 壁一面に象、サイ、牛などの動物、人々の絵が描かれた壁画も残っています。 壁画はかなり写実的ですが、儀式で踊り、トランス状態になった祭司が描いた抽象的なシンボルであるという説が有力。 意味は判別しかねますが、見る限りでは昔たくさんの動物がいたことは確かなようです。 この洞窟には人が掘ったような横穴があり、山の別のところまで煙突のように繋がっています。 この穴は近年まで雨乞いの儀式で使われていました。煙が穴を伝い、上から出てきたら雨と豊穣が約束されたそうです。 山には、ところどころから水が染み出し、小さな流れを作っています。ドンボシャワに住んでいる長老によれば、その昔は、流れが溜まった池に野生の米が生えていて、種を取るために大事にしていたそう。しかし、この頃の人々は先祖のやり方を無視し、伝統を軽んじているのでもう生えなくなったんだとか。 ![]() ショナ族の価値観がよく現れているムビラ楽曲の歌詞にも、祖先を敬うこと、先祖の生き方を無視すると悪いことがおきるという内容がよく出てきます。侵略したヨーロッパ人が撮影したジンバブエの19世紀後期の写真が残っています。それらには西洋文明に触れる前のネイティブな生き方をしていたジンバブエの人々が写っています。 もちろん洋服は着ていません。大昔から彼らは先祖のやり方を見習い生きてきたのですが、この100年で植民地化、文明の衝撃などの激変が一気にアフリカに起こり、変化を余儀なくされました。ムビラの歌詞、ドンボシャワの長老の話は、20世紀に人々の価値観が大きく揺らいできたことの反映なのでしょう。 |
夕立…そして虹 1月29日![]() 先週は雨もあまり降らず、すごく暑い毎日、だんだん僕も日焼けしています。 ムビラメーカー、ブレさんの家ではたわわにアボカドの青い実がぶらさがっていました。 スーパーにも最近並びはじめました。 昨日、ガリカイさんの家に注文したムビラを引き取りに行ってきたのですが、日が暮れるまでに仕上がりそうもないので一泊させてもらいました。庭の作業場で、ムビラの板を削る作業を手伝ったりしていると、去年2ヶ月ほどステイしていたときのことを思い出しました。皆はおしゃべりしながらも手はしっかりと動かし、ムビラを作り上げていきます。去年来た時はグラインダーを使用していたのですが、今年は一切機械を使っておらず、ほとんど手作りです。 日本とは別のゆったりとした時間がここには流れています。 28日はガリカイさんの息子トンデライの22歳の誕生日でもあり、夕食はご馳走、鶏肉とご飯でした。ジンバブエでは牛肉が一番安くて、鶏肉が一番高いし、米も主食のとうもろこし粉と比べれば高いのです。僕らは夕方、近くの商店まで行きチブクという雑穀ととうもろこしから作る酸っぱいお酒を買ってお祝いしました。 遠くから夕立が迫ってきて、大きな虹が出ていました。 ガリカイさんは一人で夜遅くまでムビラの仕上げを頑張っていました。 |
| 待つことを学習中 1月22日 日本の社会はすべてが効率的に動くようにできている。それは東京の電車に象徴されるだろう。駅の自動改札も進化を続けているし、山手線は朝夕の時間帯、駅から電車が出発したと思ったら、もう次の電車がやってくる。非効率で行列ができるのは人気のラーメン屋くらいのものだ。 もしジンバブエ人が日本にやってきたら、この国は効率を高めることで神と一つになれるという宗教を信じているのかと思うかもしれない。 効率という観点から見ると日本とジンバブエは天と地の差がある。 この国はひどいインフレが5,6年続いていて、現在もひどい状況。最高紙幣の価値が25円くらいしかない。パンを一斤買うのにも50円は必要なのだ。 ちょっとした買い物をしようと思えば札束を持っていかなくてはいけない。したがってスーパーは大行列。レジ係りが合計金額を伝えると客はペラペラと札束を何十枚も数えだす。それをレジ係に手渡すとまた数える。あと何ヵ月か後にデノミ(貨幣の桁を変えること)を実施するという話を聞いているが、まったくこの札束には困ったものである。 100US$を両替しようとすればかばんを持っていかないといけない。厚み15cmくらいの札束が手渡されるのだATMにはいつも10m、ひどければ20mの列ができている。機械がたまに壊れるのでそんなふうになってしまう。 バスもいつくるか分からない。ラッシュアワーは大変だ。大行列ができる。バスが来るとみな入り口に殺到。そこで、それをするのが当たり前のように割り込む人たちが脇からやってくる。その行為をとがめる人もいない。ジンバブエ七不思議のひとつである。先日知り合いの日本人はバスに乗るのに3時間待ったといっていた。 ジンバブエ人は待つのが上手なのだろう。列に並んでもイライラすることもせずにのんびりとしている。僕は苦手だ。だからこんな試練を受けているのだろうか。 |
| ブレ宅でのパーティー 1月19日 こちらは毎日のように雨が降り、気温もあまり上がりません。みな異常気象だと言っています。しかし、今日は晴れて気分がいいです。100円ショップで買ったレインコートが役立っています。 昨日、ムビラメーカー、ブレさんの家の庭で、7ヶ月滞在していたゆうじくんという日本人のお別れパーティがありました。ムビラジャンクションのくまさんが集合をかけて、ジンバブエ在住ムビラ修行中の日本人が勢ぞろい、全部で6人もいました。その他、近所の知り合いたちや、ガリカイさんの息子、トンデライもやってきて、ブレさんやブレの弟子のような若者たちとムビラの競演していました。 ゴードンさんというおじさんのムビラ弾きも来ていて、ブレさんが「彼の指使いは凄いぞ」というので頼んで演奏してもらうことに。おじさんは「ちょっと酔っ払っているけどなあ」と言い訳しながら、ステレオから流れるリンガラポップスの音楽を止めるように促しました。青い実がたわわにぶら下がるマンゴーの木の下に静寂が戻ると、おもむろにムビラを弾き始めます。しかし、酔いすぎたのか、指がおぼつきません。隣で僕は太鼓を叩きながら彼の指先を冷や冷や眺めていると、、、、だんだん集中が高まってきてリズムに乗ってきます。凄いのか、酔っているだけなのか、判断しかねる微妙な演奏が続きながら、最後はしっかりとした合奏になって終わりました。 それにしても黒人の踊りの凄さを改めて見せ付けられました。 ブレの子供のブライトン君は3,4歳くらいですが、大人顔負けで足を細かく地面に刻み、上手に踊ります。誰に教えられたわけでもないのに。また、ブレの奥さんの小刻みに震えるようなセクシーな腰使いには男だけでなく、日本人の女の子も目が釘付けでした。 焚き火でソーセージを焼きながらのダンスパーティ。気軽な週末なパーティといった趣で、のんびりと夜更けまで楽しんだのでした。 |
ムビラの儀式 元ゼナリラとガリカイ家が合体! 1月14日![]() ハラレから車で飛ばして約30分ほどのところにあるノートンという場所で開かれた儀式に参加してきました。 ノートンはジンバブエで一番有名なムビラバンド「ムビラゼナリラ」の出身地として知られています。 しかしそのゼナリラは去年分裂してしまい、現在元リーダーは他のミュージシャンとゼナリラを名乗り、それ以外のメンバーは「マウンギラエナリラ(ナリラのバイブレーションという意)」という別名で活動をスタートさせています。今回の儀式はマウンギラエナリラのリーダーの家にガリカイ家が招かれて行われました。 夜に到着すると大きな邸宅の室内では、すでにムビラの演奏が始まっていました。彼らの所有するムビラの中に僕がいままで見たなかで一番大きなムビラがありました。横幅だけでも40cm以上はあって指が届きません。 今回はムビラの演奏だけではなく、ンゴマ(太鼓)とホーショー(シェーカー)だけの演奏が交互にありました。ショナ族はムビラだけでなく、ンゴマで歌って踊る伝統もあります。これまで何度も、ンゴマの演奏は聴いたことがあったのですが、正直言うと、ノリが分からずじまいでした。でも、今回彼らの力強い太鼓の演奏に強い衝撃を受けました。 すごいことをやっていたということが分かったのです。歌のリズム、ホーショーのリズム、3つの太鼓のリズム、これらは全て違うリズムなのに同時に演奏していたのです。 これはポリリズムというアフリカ音楽に特徴的な音楽のスタイルです。 言葉で説明しようとすると、ちょっと難しくなるのですが、ホーショーと2台の太鼓は細かいビートを刻むのですが、その半分のビートで一台の太鼓が絡み、歌はさらにゆっくりのリズムで全体をうねらせます。それらの中で人々は自由に踊るのです。アフリカ人のリズムに対する感覚の違いをまざまざと感じた瞬間でした。日本人は勉強しないと大抵の人は理解しずらい複雑なリズムです。 ムビラの演奏ももちろん素晴らしいもので、人々の興奮は何度も最高潮に達しました。 ジンバブエ人の踊り方は自由奔放で照れがなく見ていても気持ちのいいものです。ガリカイさんの奥さんは霊媒師として、先祖の霊を自分の体に降ろし、人々が抱える問題にアドバイスを与えていました。休憩を挟みながら一晩中、翌日の昼まで儀式は続きました。ガリカイ家と元ゼナリラメンバーたちとのセッションもあり、僕も一部ムビラ、ホーショーで参加しました。 ジンバブエの伝統的なスタイルでは同じチューニングのムビラを複数で合奏します。しかし、ガリカイ家もゼナリラも伝統を一歩、発展させて違うチューニングのムビラで合奏するというスタイルを持つという点で共通しているのです。演奏のスピードは本当に早く、僕は一番簡単なクシャウラと呼ばれる奏法でついていくのが精一杯。しかし隣で演奏しているガリカイさんの演奏を覗き込むと僕の2倍のスピードで指が動いていて唖然としました。早ければ偉いということではありませんが、人間が到達できる最速演奏スピードにかなり近いのではないかと思います。指の動き、ときどき見えないくらい早いんです。ムビラのキーも硬くて手がつりそうになりましたが、プロフェッショナルと共演できたことは良い経験になりました。まだまだ修行が必要であることも分かりましたが。 |
マンゴーの季節1月13日![]() 去年6月に行われた不法建造物一掃キャンペーンのせいで首都ハラレの様子は様変わりしていました。街を彩っていたたくさんの露天商も一掃されてしまったのです。 帰宅時におばちゃんから夕飯用の野菜などを買うことを楽しみにしていた僕はがっかり。それでも郊外にいけば、警察の目をのがれてしぶとく道端でトマトやたまねぎ、マンゴーを売る姿をみることができます。彼らは政府のする横暴にデモなどで反対することはなく何と穏やかな性格なのかとあきれることもありますが、しぶとさは人一倍です。 そう、今ジンバブエはマンゴーの季節です。現地の人々はみんなマンゴーが大好きなようで、僕が見る限り、庭に植えてある果樹ナンバーワンはマンゴーです。住宅地の庭には大概マンゴーの木が植わり、各家庭で、青い果実が何百とたわわに実る姿を見ることができます。女性的な美しい曲線美を持つ外見とともに、熟れ熟れのマンゴーの甘さは、むせるような独特の香りを漂わせ、何物にも変えがたい美味しさがあります。 昨日、さっそく道端で一つ10円もしない小さなマンゴーを4つ購入、完熟の味を堪能しました。 しかし、僕がジンバブエで一番好きな果実はアボカドなのです。 先日僕の先生であるルケン・パシパミレ宅を訪れたときのこと。彼の庭にはグアバの木とアボカドの木が植わっていて、前回は家でなったアボカドをご馳走になったのを覚えています。昼下がり、女たちはアボカドの木の下でのんびりとおしゃべりしながら、髪にエクステンションを付ける作業をしていました。青空の下の美容院です。木に目を凝らしても、実の子供すら見つけられないので、彼女たちに「アボカドはいつ生るの?」と尋ねると「3月ごろだよ」と。安くて、美味しいジンバブエのアボカド。実がだんだん膨らむ姿を眺めながら、木からもがれる日を待ちたいと思っています。 ![]() 日本とジンバブエ。距離的にもかなり遠いですが、世界の多様な価値観の両極端を見るようにさまざまな習慣の違いも多いです。僕はもう4回目の滞在で、前回の滞在から1年経っていないのに、訪れる度にその違いは新鮮な驚きを与えてくれます。 それは例えば、、、首都ハラレの中心街、6車線道路の脇、ガソリンスタンドの前で地べたに座り、まるでそこでそうするのが当然という、何くわぬ顔で編み物をするおばちゃんを見た時。あるいは、街の中心部にも関わらず、車がいなければ人々はどこでもまるで歩行者天国であるかのように、車道を横断。車のほうも前方に人がいようが、お構いなしに突進するのを見る時など。 |
| ガリカイさん1月12日 午後ガリカイさん宅を訪問してきました。 ![]() 家族はみな元気でした。去年6月の一斉取り壊しの影響で、6週間の野外暮らしを余儀なくされ、当時は大変だったようです。しかしその後、日本、アメリカ、オーストラリアなどの友人から援助を受け取り、無事借家に落ち着き、その後もう一度引っ越しをして現在の場所に仮住まいしています。現在の家は前の家よりもやや広く居心地も良さそう(それでも2LKに10人が住むにはかなり手狭ですが、、、)。別に土地が用意してあるので早くそこに家を建てたいというのが現在の課題です。 ガリカイさんは当時援助してくれたことは決して忘れないよ、とみなさんの援助に感謝していました。 家族の男たちが家の庭でいつものように、ムビラ作りをしている姿を見て僕も安心しました。 その他知り合いのメーカーもムビラプレーヤーもみな無事で安心しました。 |
| アフリカ小話 1月11日 8日に日本を香港を経由して南アフリカのヨハネスブルグに着きました。ヨハネブルグで一泊し、次の日深夜バスに乗り、11日にジンバブエのハラレへ到着。日本から3日かかりました。 ヨハネスブルグに着いた次の日、夕方のバス出発まで時間が有り余っていたので宿から徒歩で行けるブルマフリーマーケットへ行きました。ここはアフリカ中から集められた民芸品店があります。別に買いたいものもないのでブラブラして、帰ろうと思ったら雨が降ってきて雨宿りすることに。たまたま入ったお店は主にアンティークの仮面や木像を取り扱っていました。もともと興味があったので、コンゴから来たクリスという名前の店主に、それぞれの意味を尋ねて時間つぶし。 「アフリカではあらゆる迷信が信じられていたんだ。現在では迷信だと片付けられてしまうものも多い。でもお前だって信じることの力は知っているだろう。」 なるほど、これらの木像、仮面の多くは信じた者の思いが具象化したものなのだ。 「その昔、像を彫ることはカメラで記念写真を撮ることと同じ役割を果たしていた。結婚した、何かとてつもなくいいことがあった、などの記念日を後になっても思い出せるように、カメラが無いから像や仮面を彫ったりしたんだ。」 「この小さな女の子の木像は、子供が授かるようにというおまじない。」 「この大きなお腹の女性のような彫り物は?」「それはタンザニアのもので、妊娠したように見せかけるために使ったものなんだ。身体に縛れるように穴が二つ空いているだろう。」 驚いたのが、大きな座った人間が小さな子供二人に挟まれた木像。 「これはナイジェリアから取り寄せたものだが、ナイジェリアでは昔双子が、悪いスピリットのせいだと忌み嫌われていたんだ。運が良ければ隣の村でこっそり育てられたが、普通はブッシュに連れて行かれて置き去りにされ殺されたんだ。そのことを忘れないようにこれは彫られた。」 僕は木像の作られた意味を知らないで買ってしまうことの危うさを感じた。 「これが俺の出身部族の仮面だけど、お祭りで踊るためのものだ。その仮面をかぶった人は踊り始めるんだ。額のところにはメッセージが刻まれている。これにはカメレオンが彫ってあるだろう。カメレオンは身体の色を変える。人生も同じで変化するもの、何が起きるかわからない。金持ちが貧乏人を笑っていたとしても、明日には立場が逆になるかもしれない。だから他人を笑ったり、馬鹿にしちゃいけないってこと。この仮面には槍が彫ってある。槍は人生を急ぐなというメッセージ。」 そこで、僕は思った。 ゆっくり生活をしているように見えるアフリカ人が人生を急ぐなと言っている。だとしたら日本や先進国で時間が金に換算されてしまい、生き急がされる人生とは、行く先の知らない光速のロケットに乗っているようなものではないのかと。 確かに新幹線の旅はつまらない。JRは各駅停車の本数を減らしてしまったが、人生も各駅停車で郷土の料理、史跡などを味わいながら進みたいものだ。 |
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